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趣味のレベルですが ~その5~

その4の③」の続きです。

出雲地方では、10月を「神在月(かみありづき)」と言います。

 平成301117日(旧暦1010日)、出雲に全国から八百万の神々がおいでになりました。神様の宿泊場所は出雲大社本殿の東西にある十九社(じゅうくしゃ)です。年に一度、この日から一週間だけ終日扉が開かれます。

 東西十九社の場所を、出雲大社境内見取り図でご確認ください。

http://www.izumooyashiro.or.jp/precinct/zenikiより改変して引用)

東十九社

 

上段は通常。(https://revoir.exblog.jp/20941867/より引用)

下段は先日私が撮影したものです。扉が開いているのがわかりますか?

ご本殿

 

いつ来てもご本殿の大きさに圧倒されますね。

西十九社

 

 

 上の写真は弥生の森博物館(出雲市大津町)に常設展示されている「四隅突出型墳丘墓」のジオラマから。これ、かなりスゴイです!

 墳丘を墓として利用する前は、八百万の神々(全国から集まった首長)を“おもてなし”する舞台だったと考えています。なぜなら、こんなに立派な建造物を他国に自慢しないわけがないからです。

 また、墳丘を作るにあたって、これだけ大量の石や土を掘り出したということは、そのぶん農地を耕したり用水路を引いたり、大規模な公共事業が行われていたと思います。

公共事業に参加した労働者は、働きに応じて(給料として)お米がもらえたのでしょう。ず~っと後の江戸時代も、武士の給料はお米でした。

 灌漑事業は次々と場所を変えて行われたため各地に墳丘が作られ、過去の墳丘は当時の事業を指揮した村長の墓になったのだと思います。